わたしが搦《から》め取った男でございますか? これは確かに多襄丸《たじょうまる》と云う、名高い盗人《ぬすびと》でございます。もっともわたしが搦《から》め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口《あわだぐち》の石橋《いしばし》の上に、うんうん呻《うな》って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜《さくや》の初更《しょこう》頃でございます。いつぞやわたしが捉《とら》え損じた時にも、やはりこの紺《こん》の水干《すいかん》に、打出《うちだ》しの太刀《たち》を佩《は》いて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携《たずさ》えて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革《かわ》を巻いた弓、黒塗りの箙《えびら》、鷹《たか》の羽の征矢《そや》が十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪《ほうしがみ》の月毛《つきげ》でございます。その畜生《ちくしょう》に落されるとは、何かの因縁《いんねん》に違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱《はづな》を引いたまま、路ばたの青芒《あおすすき》を食って居りました。
この多襄丸《たじょうまる》と云うやつは、洛中《らくちゅう》に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺《とりべでら》の賓頭盧《びんずる》の後《うしろ》の山に、物詣《ものもう》でに来たらしい女房が一人、女《め》の童《わらわ》と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業《しわざ》だとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出《さしで》がましゅうございますが、それも御詮議《ごせんぎ》下さいまし。